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「チームがんたら」について

福島の農家さん

毎度、さっき座椅子に座った途端、背もたれのリクライニングが思いっきり倒れて

 

天井を仰いだMOYでございますriceball

 

リクライニングがちゃんとカチッとはまってなかったみたいです。

 

我ながら、もうおかしくておかしくて

 

引っくり返ったまま大笑いしてたんですけど

 

そばにいた夫はノーリアクション。

 

「いや、フツー笑うやろ」と言っても、ノーリアクション。

 

ほんまおもんない(チッ)

 

 

さて。

 

3.11、ブログを書こうと思ったんですけど

 

うまく書ける気がしなくて、結局書かずじまいで。

 

でも、考えたら別にうまく書く必要もないし、

 

言葉に、文にすることに意味があると思い直し、書くことにします。

 

表現が下手で、気を悪くされる方がいらっしゃったらごめんなさい。

 

でも、思ってること正直に書きます。

 

 

 

八年という時間の経過とともに、あの日の衝撃、ショック、悲しみは確実に薄らいできています。

 

津波に襲われ、原発事故の被害を受けた楢葉町に契約農家さんがいたことで

 

私自身も相当なショックを受けました。

 

お米作りに、農業に真摯に向き合い、米屋である私たちにも

 

いろんなことを教えてくれて頑張っていた農家さんだけに

 

その農家さんが「お米作りができなくなった」

 

「あのお米がうちの店の棚に並ばなくなった」という現実をなかなか受け入れられずにいました。

 

3月11日から一か月間位は、毎日、泣いていた気がします。

 

とにかく何か力になりたい、という思いで

 

お客さんや友人の協力の元、支援グループを立ち上げました。

 

 

最初は何かしないと居たたまれない気持ちから、無我夢中で立ち上げたグループでしたが

 

時間の経過と共に、私の心には「?」が浮かぶようにもなりました。

 

果たして本当にこの支援は農家さんのためになっているのか

 

ただの自己満足なのではないか

 

かえって負担をかけているのではないか・・・等々。

 

 

でも、グループの中心である私がそんな気持ちでは、協力してくれた方にも申し訳ない

 

そんな揺れる気持ちを抱えながらも、5年という期間、ほぼ全員の方々が支援を一緒に

 

続けて下さったことには、本当に心から感謝しています。

 

 

 

 

今でも思います。

 

こんなこというとほんとアレなんですけど

 

あの支援を続けた5年は、農家さんのためというよりは

 

私のためだったような気さえしてきます。

 

 

時間の経過と共に、あの日のショックや悲しみが薄らいでいっている自分に戸惑い

 

でも、一方では「当事者ではないのだから、仕方がない」と思う自分もいて。

 

 

娘の仲の良い友達で、毎年3月になると被災地に行って、現地の方と交流を続けている子がいます。

 

続けるというのは本当に偉いなぁと思います。

 

 

忘れないでいる、それを自分にできる何かしらの形に表すということが大事なんだと思います。

 

 

信じられない位たくさんの方が亡くなり

 

未だたくさんの行方不明者の方がいて

 

八年たとうが一歩も前に踏み出せないどころか

 

時間の経過と共に悲しみや孤独が増すばかりの方もたくさんいることと思います。

 

もし我が子が、親が、兄弟が、津波にのまれて行方不明のままだったら・・と想像すると

 

50年近く生きてきて「絶望」という感情を経験したこともなくのっぺり生きてきた私は

 

想像の範囲を越えるその絶望的な悲しみを、やはり自分のものとしては感じることができません。

 

でも、想像します。

 

もし、自分だったら・・・と考えます。

 

 

すみません、なんだかまとまりのない文章で。

 

今年も3.11に農家さんが書いたブログを、紹介させていただきます。

 

福島の農家さんのブログ

 

 

 

震災後、私が福島を訪れた時の記事

 

 その①  その②

 

何か思ったり考えたりする少しのきっかけになれば嬉しく思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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