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「チームがんたら」について

チームがんたら

毎度、今日は花の金曜日だっていうのに(古い!)串かつ屋から早上がりしたお米屋の嫁でございますriceball

 

金曜日だっていうのに、今日は暇だったんですよ(笑)

 

いや、(笑)じゃないな、(泣)か。

 

そんなにみんな祇園祭に行っているのか?

 

確か去年もこの辺りは暇だったような・・・

 

今日が宵々山??

 

よー、わからん。

 

明日もお席に余裕がございます!!!

 

 

 

さて。

 

 

チーちくをアテにちびちび飲んでおります。

 

201671523853.jpg今日、久しぶりにがんたらのH美さんと電話で話をしました。

 

この春に5年間の「チームがんたら」の活動に一区切りをつけ

 

5年という長い期間にわたり支援して下さった方々にもご報告のお手紙を出させて頂きました。

 

 

 

今朝読んだ新聞に福島の双葉高校の野球部の記事が載っていました。

 

震災によって生徒数が減り、かつては50人近くいた部員も今はたったの二人。

 

来春から休校の決まっている双葉高校、この夏が最後の甲子園への挑戦。

 

部員が少ないため連合チームで出場した一回戦、

 

残念ながら敗退。

 

朝からこの記事を読み涙が溢れました。

 

 

 

 

「震災さえなかったら」

 

「原発さえなかったら」

 

 

がんたらさんが震災直後に幾度となく口にしていた言葉。

 

誰も自分の身に、自分の人生にこんなことが起きるなんて想像すらしていなかっただろうし

 

でも起きてしまったことは事実で、あれからもう5年以上。

 

未だ問題山積みの被災地なのに、5年という期間を設けたのは

 

正直、それが「よかったのか」と今でも思うのだけど

 

実際、チームがんたらのメンバーの多くの方も「もっと続けましょう」とか

 

「これからも応援しましょう」と言ってくださる方もいて。

 

もちろん、私自身これで終わりとは思ってないし、がんたらさんとのつながりはこれからもずっと

 

ずっと続いていくと思っているのだけど、チームがんたらとしての今までのような活動は

 

一旦、一区切りをつけようと思った次第です。

 

 

震災直後は「もうお米作りはできないかもしれない」と思っていたがんたらさんですが

 

いち早くお米作りを再開し、今は全量を契約栽培、更に面積を増やして欲しいと言われているそうです。

 

奥さんと息子さんとはずっと離れた生活をしていますが

 

それぞれがそれぞれの場所で一生懸命頑張って暮らしています。

 

 

 

 

「良かった」という言葉を使うのは語弊があるかもしれないし、

 

うまく伝わらないかもしれないけれど、私が一つ思うのは

 

もしがんたらさんという農家さんと知り合いではなかったら

 

私自身、ここまで被災地のことを考えることはなかっただろうと思います。

 

もちろん、震災なんてなかったらそれが一番いいし、

 

それは被災者のみなさんが一番に思うことだろうけど

 

私ががんたらさんと知り合いだったことだけは「良かった」と思うんです。

 

絶望の中にあっても、前に進んでいく姿に本当に力をもらいました。

 

 

 

チームがんたらのみなさん、本当にありがとうございました。

 

一人ではとてもできなかったこと、みなさんのお陰で続けることができました。

 

そして、がんたらさん、これからも応援しています!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青空を見て

毎度、今朝、洗濯物を干す手を止めて青空をしばらく眺めていたお米屋の嫁でございますriceball

 

家族の洗濯物を干しながら、ふと空を見ると

 

きれいな青空に真っ白な雲が浮いていました。

 

5年前の今日、こんな風に家族の洗濯物を干しながら

 

子供の「行ってきまーす」の声に

 

普通に「いってらっしゃい」って答えて

 

普通にいつもと同じ毎日を過ごして

 

当たり前に夕方には子供が「ただいまー」って帰ってきて

 

「おかえりー」って言って

 

そんな当たり前だった毎日が突然なくなって

 

帰って来るはずだった大切な人ともう二度と会えなくなった人がたくさんいるんだな、と

 

洗濯物を干しながら、考えていました。

 

毎日、毎日、家事も仕事も同じことの繰り返しで

 

それに文句を言ったり、

 

平凡な日常がすごく幸せなことなんだと気付かされるような出来事が起きないことが

 

幸せなんだって。

 

 

 

今日、3月11日、福島の農家さんから手紙が届きました。

 

 

 

 

 

「震災から5年」というニュースが毎日のように流れているけど

 

被災者の私たちは複雑です。

 

終わったことであれば、過去を振り返ることも苦ではないのですが

 

まだまだ問題が山積みの中、重く感じてしまいます。

 

 

 

 

 

震災から○年、と私たちは数えてしまうけど、

 

被災者の方たちにとっては今、尚ずっと続いていることで

 

「○年たった」ということはあまり意味のないことなのかもしれません。

 

 

手紙の最後にこうありました。

 

「笑顔でいられますように」

 

 

 

私のこのブログで少しでも笑顔になってもらえるといいな。

 

私が生きている限り、ずっとずっと応援しています!!

 

 

 

 

ふるさと

毎度、テレビに映っていた故郷の画像に見入っていたお米屋の嫁でございますriceball

 

私の故郷、旭川では一昨日、例年より10日早く雪が降ったそうですsnow

 

いつも通っていた旭橋や駅前通りが映っていました。

 

実家でももうストーブを点けていると言ってました。

 

北国ではもう「冬」がそこまで来てるんですね。

 

いや、もう冬なのか?

 

こちらもホットの缶コーヒーをカイロ代わりについ買ってしまう季節になりました。

 

201510169127.jpg

 

先日、東日本大震災で被災した福島の農家さんから

 

取材を受けた新聞の記事が送られてきました。

 

2015101493650.jpg一つは福島の新聞。

 

もう一つは北海道新聞。大きな記事です。

 

奥さんからの手紙も添えられて。

 

震災から4年半、家族と離れて単身いわきに住むご主人は

 

今年も自身の農園がある楢葉町でお米を作りました。

 

楢葉町は9月5日の午前0時に避難指示が解除になりました。

 

それでも、戻ってくる人は少なく、病院や学校といった生活環境も整っていないため

 

町の再生というのにはまだまだ時間がかかるというのが現実でしょう。

 

4年という時の流れは、「避難先」だった町が「移住先」になるには十分な時間です。

 

故郷に戻る人、戻らない人、戻れない人。

 

被災した一人一人、それぞれに想いや事情があることだし

 

それは同じ家族であったって、一人ひとりみんな違うんだと思います。

 

 

テレビのニュースで故郷の町が映っていて、それを懐かしく思う私の気持ちとは明らかに違うわけで

 

帰りたくても帰れない故郷って、どんな気持ちだろう・・・・と。

 

 

そして一方で、今年も頑張ってお米作りをした農家さん。

 

今まで田んぼを守りお米作りを続けてきたご先祖への気持ち、

 

故郷の農業を絶やしたくないという気持ち、

 

故郷でお米を作りたいという気持ち、

 

そんなたくさんの思いを抱えて、頑張っておられるのだと思います。

 

また美味しいお酒を一緒に飲みたいですね。

 

 

 

 

 

福島の農家さんが来てくれた~~!!!!!

 

毎度、福島の農家さんがお土産に下さった美味しいお酒に

 

うっとりのお米屋の嫁でございますriceball

 

 

 

先週の土曜日、福島の農家さんが一家そろって

 

京都に来てくれました!

 

東京や福島を訪れたてお会いしたことは何度かありましたが、

 

京都に来て下さるのは震災以降、初めてです。

 

自分が会いに行くのと、会いに来てくれるのでは

2015727204412.jpg

また感激もひとしおで、本当に嬉しい一日でした。

 

 

 

近所のお茶屋さんで一緒にお茶タイム。

 

2015727202337.jpg冷抹茶やおぜんざいを

 

「美味しい~~~~~heart01」って、すっごく喜んでくれました。

 

私も近所にいてもなかなかお茶しにいけないので

 

久しぶりに、しかも農家さんと一緒にここでお茶できるなんて、ほんと嬉しかったです。

 

そして、京都観光をした後、夜は串かつ屋にご来店~

 

2015727203232.jpgずっと串かつ屋に行きたい行きたいって、言って下さってたんです。

 

カウンターのこちらから農家さん一家が笑顔でうちの串かつを食べている姿を見て

 

胸がいっぱいになりました。

 

農家さんとの出会いから、まだ小さかった娘を連れて初めて福島へ行った時のこと

 

毎年、届く新米。

 

そして、震災、原発事故。

 

もう故郷へは戻れないかもしれない、もうお米作りはできないかもしれない

 

そんな絶望や不安、悲しみを抱えながらの年月、

 

そして、去年の秋に見た再開した田んぼ。

 

そんなことがぶわーっと頭に甦りました。

 

 

京都に来て下って、本当にありがとうございました。

 

ずっと、ずっと

 

私が生きている限り、応援しています!

 

美味しいお酒、ご馳走様です。

 

 

 

 

 

 

卒業、おめでとう!

毎度、小学生のH君からの手紙に胸がいっぱいのお米屋の嫁でございますriceball

 

2015325132741.jpg福島の契約農家さんの息子さん、H君からのお礼のハガキ。

 

中学の合格&入学お祝いに、ささやかな贈り物をしたのですが、そのお礼のハガキです。

 

今日、25日が小学校の卒業式だそうです。

 

被災して福島から関東に移り住み、知っている人が誰もいない小学校に急に転校となったH君。

 

まだ幼かったH君の心の中はきっと不安でいっぱいだったことでしょう。

 

それでも、たくさんのお友達ができ

 

先生には「ずっと前からうちの学校にいる子みたいだ」と言われ

 

そして卒業を間近に「学校が楽しくて仕方ありません」というH君。

 

子供には理解しきれない不安をいっぱい抱えながら、それでも明るく元気に成長したH君。

 

ただでさえ、小学校の卒業式、親は涙涙です。

 

H君のご両親、今日の卒業式は本当に胸がいっぱいだったことでしょう。

 

本当に本当におめでとうございます。

 

 

いつも「チームがんたら」の支援活動にご協力頂いているみなさん、ありがとうございます。

 

震災時、2年生だったH君、今日、小学校を卒業しました。

 

 

H君、ほんとにおめでとう!

 

ハガキ、ありがとうね!

 

 

米屋のおばちゃんより

 

 

 

 

4年

毎度、実家の両親が北海道に無事着いたと知らせを受けて

 

ホッとしているお米屋の嫁でございますriceball

 

実は、昨日、伊丹から千歳行きの飛行機に乗ったんですが

 

悪天候のため降りれず、青森上空で1時間ほど旋回したのち

 

結局、伊丹に引き返してきたとのこと。

 

夕方、母からメールが来たので、てっきり「着いたよー」という内容かと思ったら・・・

 

上のような内容でびっくり。仕方なく兵庫に一泊することにしたとのこと。

 

今日も悪天候で心配していましたが、無事着いたようです。

 

お疲れさまでございましたm(__)m

 

 

今日は3月11日。

 

東日本大震災から丸4年がたちましたね。

 

私が過ごしてきた4年間と、被災された方や大切な方をなくした方たちの4年間は

 

同じ4年であっても、時の流れが違うことでしょう。

 

普通に暮らしていても、一歩進んだと思ったら、二歩下がったり、

 

なかなか前に向けなくて思い悩んだりすることはあります。

 

それが震災や原発事故という自分ではどうしようもできないことによって生活が全く

 

変わってしまうのですから、怒りや不安や悲しみをぶつける場所もない4年という時間は

 

長い長い4年だと思います。

 

震災のことをこうして言葉にすることは、上手く表現できなかったり

 

言葉にした途端、何だか自分の思いと違ってしまったりして

 

いつも悩みながら、書き直しながらの作業になるのですが

 

私にできることはただ一つ、こうやってブログ等を通じて、震災のことや農家さんのことを書き続けていくことです。

 

なんかうまいこと書こうとすると言葉が出てこないし、かと言ってありきたりの言葉を連ねると

 

中身が空っぽに思えて・・・・

 

でも、書きます。

 

4年という歳月は人々の記憶の中から震災のことを確実に消しつつあります。

 

被災した県でも場所によっては大きな差があって、同じ県の人同士でも複雑な思いがあるというのに

 

被災していない他県の人にしてみれば、当然のことなのかもしれません。

 

また、忘れてしまっている人が悪いわけでもありません。

 

私だって契約農家さんがいなければ、ニュースをみて「あ、4年たったのかぁ・・・」程度に感じていたと思います。

 

今、このブログを書いている途中でお客さんが来ました。

 

娘の同級生のお母さんでもあります。

 

「4年ですね」と私に渡された封筒。

 

2015316181434.jpg

「チームがんたら」のメンバーに入ってはいなくても

 

こうして折に触れ、支援金を下さる方が一人や二人ではありません。

 

気にかけていてくれて、忘れずにいてくれて、本当に嬉しいです。

 

 

 

 

震災時、小学2年生だった農家さんの息子さんはこの春、中学校に入学します。

 

突然、仲の良かった友達と離れ離れになり、知っている人が一人もいない学校に転校し

 

それでも明るく頑張って、一生懸命勉強してこの春から希望していた中学に入学します。

 

将来の夢は「科学者になること」だそうです。

 

私はその日が来るのを本当に楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

福島、報告。その②

津波の傷跡をのこしたままの富岡町を通り、いよいよ車は楢葉町へ。

 

 

楢葉に入って一番最初に感じたことは、それまで見てきた町よりも

 

きれいに片付いている、という印象。

 

来春の帰町へ向けて、準備が進んでいるという感じがした。

 

線量も、思った程高くない。

 

関東など一部の線量の高い地域に比べると、低いくらいだった。

 

途中、コスモス畑があった。

 

「ここも田んぼだったとこです」と佐藤さん。

 

放っておくと農地がダメになってしまうから、そのためだそうだ。

 

福島(コスモス畑).jpg

コスモス畑の前で一枚。

 

その後、楢葉が見渡せる高台へ車は向かう。

 

 

福島(展望台から).jpg

以前、佐藤さんが「すっかり景色が変わってしまった」と言っていたのは

 

恐らくここからの風景のことを言っていたのだろうと思う。

 

向かって左が海側になる。

 

この写真にうつる地域の中には、佐藤さんが管理を任されていた田んぼもあったが津波でやられてしまった。

 

民家もほとんどなくなってしまったそうだ。

 

ブルーシートがかけられているのは、瓦礫。

 

言葉少なに三人でしばらくこの風景を見ていた。

 

 

 

そして、車はがんたら農園へ。

 

今年の春先、佐藤さんから「お米作りを再開します」と聞いた時、本当に本当に嬉しかった。

 

嬉しかったし、ただただ「すごい」と思った。

 

あの3月11日から、どれだけの絶望感を味わってきたのだろう。

 

どれだけ、涙を流しただろう。

 

どんなに辛く、悲しく、虚しく、悔しく・・・

 

ありとあらゆる感情を感じてきたことだと思う。

 

でも、佐藤さんは諦めなかった。

 

奥さんも「あの前向きな姿は本当にすごいと思う」と言っていた。

 

きっと、今だってまだまだ複雑な思いをたくさん抱えていることだろう。

 

それでも、お米作りを再開した佐藤さんの顔は生き生きして見えた。

 

 

 

 

見えますか?稲穂を手に笑っている佐藤さんの顔。

 

福島(がんたら農園2).jpg

稲刈りまであと数日となった稲穂を手に、佐藤さん、笑顔でした。

 

私はこの佐藤さんの笑顔が見れただけで、福島にきた甲斐があったと思った。

 

あぁ、私は佐藤さんのこの笑顔が見たかったんだとこの時、わかった。

 

 

福島(がんたら農園4).jpg

田んぼの事を色々と話しながら歩く佐藤さん夫婦の後ろ姿。

 

色々と問題は山積みだけど、

 

でも、やっぱりこれだけは言いたい。

 

お米作り再開、おめでとうございます!!

 

これからもずっとずっと応援しています!!

 

 

稲刈りも近く忙しい中、私のために辛い思いをしながら色々と案内をして下さり

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

そして、再び埼玉の三郷に戻り、そこから東京駅へ。

 

お疲れだろうからここ(三郷)でさよならしましょうと言ったのに

 

佐藤さん、「いいや、東京で一杯やりましょうよ」と、また東京駅まで見送ってくれた。

 

 

 

駅の構内に酒屋と併設してお酒が飲めるお店があった。

 

そこで再び乾杯。

福島(東京駅乾杯).jpg

この後、日本酒も飲み・・・・

 

新幹線の時間になり、改札でお別れ。

 

過去二回はここで泣いてしまった私だけど、今回は笑顔で手を振ることができた。

 

佐藤さんに「寝過ごさないように」と念を押され、お別れ。

 

 

 

 

 

 

それなのに・・・

 

あぁ、それなのに・・・・・・

 

 

 

気が付けば、

 

「新大阪ぁ~、新大阪ぁ~」

 

 

 

あ~~~、やっちゃった(泣)

 

新幹線を降りて、改札の駅員さんに「あのぉ~、京都で降りる予定が・・・」と言うと

 

ニッコリ笑顔で「寝過ごされたんですね?」と。

 

「はい・・・・・・」

 

えへへ・・・

 

そしたら「今度から気をつけて下さいね~」と切符にこんなハンコ。

福島(誤乗車).jpg

「誤乗」

 

初めて見た。

 

電車を乗り換え、京都へ。自宅に着いたのは丁度日付が変わるころでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福島、報告。

毎度、一泊二日の福島への旅、最後にオチがついたお米屋の嫁でございますriceball

 

まぁ、それについては後で述べると致します。

 

 

月曜日の夕方6時台の新幹線に乗り、東京へ。

 

東京ではがんたらの佐藤さん夫妻が迎えに来てくれていました。

 

そこからまた電車に乗って、埼玉の三郷に着いたのは夜10時半頃。

 

三郷に向かう電車の中で窓が雨に濡れていることに気づく。

 

私、雨女。

 

佐藤さん、雨男。

 

やっぱりか、とみんなで苦笑い。

 

晩ごはんを食べていない私のために、佐藤さん夫婦も付き合って下さり、駅近くの居酒屋さんへ。

 

約半年ぶりの再会に乾杯。

 

三郷で乾杯2.jpg

翌朝に控え、小1時間でお開き。

 

佐藤さん夫婦と別れ、駅近くのホテルへ。

 

すぐにバタンキュー。

 

 

 

翌朝、早く目が覚める。

 

カーテンから差し込む光。

 

やった~!!快晴だぁ~~~~sun

 

 

 

8時に佐藤さん夫婦が車で迎えに来てくれた。

 

いよいよ、福島へ向けて出発。

 

佐藤さんも私も線量計を携帯。

 

茨木の日立を通り、「もうすぐ福島ですよ」と運転席の佐藤さん。

 

少し緊張する。

 

国道6号線が先日全面開通になったばかり。

 

とりあえず北上して、原発に近いとこまで行くことに。

 

線量計の数字はどんどん高くなっていく。

 

あちこちに作業員さんの姿や瓦礫を運ぶトラック。

 

福島(トラック2).jpg

 

思った以上に一般車両が多いのは、お彼岸でお墓参りに帰ってきた方たちがいるからか。

 

何かが目に見えたり、においを感じたりするわけではなく

 

線量計の数字でしか測れない放射能というものが、とても恐ろしく不気味に思える。

 

震災以降、初めて足を踏み入れた場所には、佐藤さん夫婦が通っていた馴染みの店や

 

思い出の場所があり、「懐かしいなぁ・・・・」とつぶやく。

 

人が住んでいない町というものを初めて見た。

 

3年半前まであの家にも、この家にも家族が暮らし、この街で生活をしていたのだと思うと、

 

もしここが自分の故郷だったらと思うと、

 

とても言葉にはできない気持ちになる。

 

原発の近くを通りすぎしばらく走ったら、今度は引き返して南下。

 

目的地の楢葉町の隣り、富岡の駅へ立ち寄る。

 

海のすぐ近くにあった富岡駅は、津波に飲まれた時のままの姿でそこにあった。

福島(富岡駅).jpg

駅名の看板だけがかろうじて残っていた。

 

駅舎の向こうにはあおい空とおだやかな海が見える。

 

福島(横転車).jpg

あちこちに横転した車。

 

車内にびっしりと生えた雑草が三年半という月日を感じさせる。

 

この車は無人だったんだろうか。

 

もし人が乗っていたなら、その人は無事だったんだろうか。

 

駅のすぐ近くには慰霊碑があった。

 

たくさんの千羽鶴やジュースやお酒が並べられていた。

 

駅があるからか周りには飲食店だったと思われる建物も無残な姿であった。

 

中をのぞくと、炊飯器や生ビールの樽、調理器具などが泥にまみれたままであった。

 

車に戻った佐藤さんがポツリと言った。

 

「自分の家がこんなんなったの見たくねぇよな。人にも見られたくないよ」

 

私は記録を残そうとためらいながらもカメラを向けていたけれど、

 

そうだよなぁ・・・

 

もし、自分の家や店がこんな風になってしまったら、自分でも見るの辛いのに

 

他人になんて見られたくないよなぁ・・・

 

 

 

 

あの日から何も変わっていない光景を目にして

 

心なしか佐藤さん夫婦も口数が少なくなる。

 

今回、私が福島を訪れたから、それならば、と開通になったばかりの道を走ってくれたけど

 

本当は見たくない光景だったのかもしれない。

 

そして、いよいよ車はがんたら農園のある楢葉町へ・・・・

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福島、行ってきます!

毎度、すっかり涼しくなって、夜にお酒を飲みながら

 

大好きな読書をする時間が何より幸せなお米屋の嫁でございますriceball

 

でも、最近お酒を飲むとすぐに眠たくなってしまうので、

 

ページがなかなか前へ進まないんですが・・・

 

 

 

 

さて。

 

タイトルの通り、福島へ行ってきます!

 

今日、お米屋の仕事を終えたら夜の新幹線で向かいます。

 

今日は埼玉で一泊し、明日の朝、福島へ向かい、午後3時頃には福島を出発し夜に京都に帰ってくる

 

と、言う強行スケジュールではありますが。

 

目的は福島のがんたら農園の田んぼを見に行くことです。

 

震災以降、初めてお米作りを再開したがんたら農園の佐藤さん、

 

刈り取り前に何とか田んぼを見に行きたいと思っていたのですが

 

なかなか時間を作れず、諦めかけていました。

 

でも、

 

でも!

 

やっぱり、見たい!

 

何とか刈り取りには間に合いそうな、今日、明日で行ってきます。

 

福島でお米作りを再開することを決めるまでに、どれほど悩んだり、葛藤したり

 

悲しんだり、悔しい思いをしたり・・・

 

そして、実際、お米作りを再開してからだって、今までとは違った状況の中

 

色々苦労をしてお米作りをしたことだろうと思います。

 

私には想像もできない辛い思いをして、それでも楢葉の農業を守りたいと、

 

先祖代々続いていた田んぼを守りたいと、

 

決して楽ではない道を選んだ佐藤さんの気持ちを思うと

 

やっぱり今年の田んぼは自分の目に焼き付けておきたい、

 

そう思いました。

 

そして、震災以降、ずっと変わらずに一緒に支援を続けてきて下さってる方々にも

 

今のがんたら農園の姿をお見せしたいし、私には発信し続ける義務・・と言ったら大げさかもしれないけど

 

でも、チームがんたらを立ち上げた者として、支援者の皆さんに伝えたいという思いがあります。

 

 

 

 

私は思いっきり雨女、

 

そして佐藤さんも雨男、

 

お天気を心配していましたが、何とか大丈夫そうです。

 

震災以降、初めて訪れる福島です。

 

また報告します。

東京~夜編

そして、東京へ行った二つ目の目的は、福島の契約農家さんと会う事。

 

埼玉で避難生活をしている奥さんといわきで単身生活をしているご主人。

 

ご主人も千葉で仕事があったからと、今回、東京までお二人揃って出て来てくれました。

 

お会いするのは去年の三月に私が埼玉へ行って以来、一年ぶり。

 

おのぼりさん気分でまずは東京駅前で記念撮影。

佐藤さんと.jpg

弘美さんと.jpg

 

そして佐藤さんが「出版の前祝をしましょう!」と言って下さり、三人でごはんを食べに行きました。

 

そしてこの日は偶然にもご主人のお誕生日でもあったのです。

 

話したいこと、聞きたいこと、お互いたくさんあって、

 

笑って飲んで、泣いて飲んで、また笑って飲んで、また泣いて・・・

 

気が付けば四時間もたっていました。

 

改めてこの三年間という月日がどれだけ大変な時間だったろうかと思いました。

 

当たり前の日常が、仕事していたことが、そこにあって当たり前の人間関係が

 

ある日突然なくなってしまう。

 

三年たった今でも、親しくしていた方でどこでどうしているかわからない人もいると聞きました。

 

前を見て頑張ろう!って思ったり、気持ちが落ち込んで、どうしてこんなことに・・と思ったり、

 

本当にそんな繰り返しの三年間だったと思います。

 

応援なんて言葉が合ってるかどうかもわからないけれど

 

「チームがんたら」はこれからも応援し続けます!

 

直接会って、顔を見て話すことってやっぱり必要だなって思いました。

 

がんたらさん、ありがとうございました!

 

 

 

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